光は内に宿る──禅と歩いた再生の道

f:id:enshow:20251128111533j:image山の朝は、ただ静けさの中に光が差し込むだけなのに、なぜか心がすっと澄んでいきます。
木々の影が薄明の光に溶けていく時間は、まるで世界そのものが息を整えているようです。

そんな光景を前にすると、私はいつも思い出します。
光は外から与えられるものではなく、もともと自分の内に宿っているものだ──と。

この言葉の意味が腑に落ちるようになるまでに、私は長い年月を必要としました。
禅と出会い、公案禅を学び、十方世界の広がりを感じるようになった今、ようやくその意味が静かに心に降りてきます。



幼い日の影──いまは静かに背景に

子どもの頃の私は、家庭の中に居場所を見つけられず、心を閉ざして育ちました。
その苦しさは、いま語るほどではありません。
ただ、私の人生の背景として静かに横たわっているだけです。

影があったからこそ、光に気づけたのだと思います。
あの暗い時期も、今日の私を形作る一部でした。



40代、坐禅が心のほどける瞬間をくれた

40代のある日、私は初めて坐禅に身を置きました。
深く息を吸い、ただ座るだけなのに、胸の奥でざわめいていた波がゆっくり静まっていきます。

世界は変わりません。
仕事も生活も忙しいまま。
それでも、
「自分の内側に揺れない場所がある」
その気づきだけで、心の風景は確かに変わり始めました。

坐禅はうまくやる必要はありません。
完璧に座れなくても大丈夫。
ただ呼吸の音を感じるだけで、人は静かにほどけていきます。



公案禅が教えてくれた“受け入れる力”

50代になると、公案禅を本格的に学ぶようになりました。
公案は「正解を出すもの」ではありません。
むしろ、
思考の奥にある、まだ形にならない世界に触れるための問い
と言っても良いでしょう。

公案に向き合う日々の中で、私はゆっくりとほどけていきました。

自分を責める癖

過去を握りしめる癖

誰かの期待に合わせようとする癖


それらが少しずつ薄れ、心に小さな隙間が生まれたとき、光が差し込んできました。



十方世界の光とつながるという体験

坐禅のある日、体の奥から光が満ちていくような、不思議な静けさに包まれました。
それは特別な現象ではありません。
ただ、
自分と世界の境界が薄れ、十方世界に溶け込んでいくような広がり
を感じただけでした。

仏教では、あらゆる方向に広がる無限の世界を 十方世界 と呼びます。
その光が内側にも満ちている──
その実感は私に深い安心を与えてくれました。

光は外から与えられたものではありません。
もともと自分の内にあった光に、ようやく気づいただけでした。



60代、ようやく自分を好きになれた

60代になった今、私はようやく自分を静かに受け入れられるようになりました。
山寺で迎える朝の光、読経の響き、木々を渡る風。
どれも心をやわらかく整えてくれます。

過去の影は消えません。
けれど、それもまた光へ向かう道の大切な一部でした。

禅僧として今日を生きながら、私は思います。
「私は私でよかった」
そう静かに言えることが、人生のもっとも深い再生でした。

 

 

あなたの中にも、必ず光があります

この記事を読んでくださったあなたにも、必ず光があります。
たとえ今は影の中にいるように感じていても、光は消えていません。

深呼吸ひとつ。
静かな数分。
朝の空気を吸い込む瞬間──。

その小さな時間の中に、光は必ず姿を現します。

光は外ではなく、内に宿る。
そのことに気づいたとき、人生は静かに、しかし確かに再び歩き始めます。

菊芋の精進料理|山寺の台所から身体と心を整える精進レシピ4品

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秋の山里で土の中からそっと顔を出す「菊芋(きくいも)」

血糖値を穏やかにし、腸を整えることで知られる“天然のインスリン”とも呼ばれる食材です。

 

私が暮らす岐阜の山寺・無量山定法院では、冬支度の頃になると必ず台所に並びます。

精進料理は、単なる菜食ではなく、仏教の思想そのもの。素材のいのちを尊び、余計な手を加えず、身体と心を調える修行の一部です。

 

そんな精進の哲学にぴったりなのが、この菊芋なのです。

 

■ 精進料理と菊芋の深い関係

 

菊芋が日本に広まったのは江戸時代。寒冷地でもよく育ち、保存が効くため、寺院や農村で冬の大切な栄養源として重宝されてきました。

 

仏教では

「身心一如(しんじんいちにょ)—身体と心はひとつ」

と説かれます。

腸を整える食べ物は、心を落ち着かせ、坐禅や作務に集中できる「良い身体」をつくるための養生の一部とされてきました。

 

素朴で、土の香りのする菊芋は、まさに修行を支える食材だったのです。

 

■ 無量山定法院の菊芋精進料理4品

 

ここでは、私が実際に寺で作っている精進料理を、仏教的な意味とともにご紹介します。

どれも簡単で、日々の食事に取り入れやすいものばかりです。

 

◎ 1. 菊芋の白和え

—豆腐の白は「無垢」、心を白紙に戻す—

 

材料

菊芋 2〜3個(皮つき)

木綿豆腐 1/2丁

白すりごま 大さじ2

塩 少々

薄口醤油 少しだけ

 

作り方

1. 菊芋を薄切りにして軽くゆでる(食感を残す)。

2. 豆腐を布巾でしっかり水切りする。

3. すりごま・塩・薄口醤油を混ぜ、和える。

 

ポイント

菊芋は皮ごと使うと香りが立ち、素材のいのちをそのままいただく精進の精神に合います。

 

 

◎ 2. 菊芋の精進味噌汁

—一椀は仏心のかたち—

 

材料

菊芋 1〜2個

わかめ・青ねぎ

昆布出汁

味噌(麦味噌がおすすめ)

 

作り方

1. 昆布出汁を温め、薄切りの菊芋を入れて煮る。

2. わかめを加え、味噌を溶き入れる。

3. 最後にねぎを散らす。

 

ポイント

菊芋の自然な甘みだけで味がまとまるので、具材は控えめにすると精進らしい一椀になります。

 

 

◎ 3. 菊芋とごぼうの精進きんぴら

—大地の力「地の気」をいただく料理—

 

材料

菊芋 3個

ごぼう 1本

ごま油 少量

醤油・みりん

白ごま

 

作り方

1. 菊芋とごぼうを細切りにする。

2. ごま油を少量だけ熱し、炒める。

3. 醤油とみりんで軽く味つけ。

4. 白ごまを仕上げに振る。

 

ポイント

根菜は心を落ち着かせる作用があり、「地に足をつける」修行の補いとなります。

 

 

◎ 4. 菊芋の甘酢漬け

—酢は古来より“清め”の力を持つ—

 

材料

菊芋 5〜6個

酢 100ml

砂糖 40g

塩 小さじ1

唐辛子(お好みで)

 

作り方

1. 菊芋を薄切りにし、軽く塩もみする。

2. 酢と砂糖を温めて溶かし、唐辛子を入れる。

3. 菊芋を浸して一晩置く。

 

ポイント

疲れた胃腸を整え、修行時の保存食としても使われる一品です。

 

 

 

■ 菊芋は“足るを知る”食材

 

禅語に

「知足(ちそく)—足るを知る」

があります。

 

菊芋は地味でありながら、過度な手間をかけなくても滋味深く、噛むほどに甘みが広がります。

派手さよりも“いまここにある味”を味わう精進の心が宿っています。

 

 

■ おわりに

 

菊芋の精進料理は、華美ではないけれど、心を静かに調える料理です。

忙しさの中で乱れがちな思考を“ふっと落とす”ような、そんな一皿になります。

 

山寺の台所から生まれる素朴な料理が、どなたかの日常の息を整える助けになれば嬉しく思います。

供養は“心を整える時間”——仏教と心理学から

f:id:enshow:20251121185629j:image先祖供養は何のためにあるのか

——仏教と心理学で読み解く「法事」の本来の意味

「先祖供養って、何のためにするのでしょうか?」
住職という立場になって、一番よく聞かれる質問かもしれません。

宗教離れが進み、仏壇のない家庭も増えました。
それでも「供養」という言葉が人の心に引っかかり続けるのは、
私たちの心のどこかに“亡き人とつながり続けたい”という思いが残っているからだと感じます。

今回は、
仏教の立場と家族心理学の視点から、先祖供養や法事の意味をわかりやすくお話しします。

 

■ 供養とは、“亡き人のため”だけではなく“生きている私たちの心のため”

仏教でいう「供養」は、亡くなった方を敬う行為であると同時に、
自分自身の心を整える行為でもあります。

禅(臨済宗)には、すべての存在が支え合って成り立つという「縁起」の考え方があります。
いまの自分は、無数のご先祖の命の上に存在する——
この事実に気づくことが供養の第一歩です。

「供養しないとバチが当たるのでは?」
と心配される方もいますが、仏教に“バチ”という概念はありません。

不安の正体は、多くの場合、
親や祖父母に対する後悔や、未整理の感情です。
供養とは、その感情を静かに整える“心の作業”でもあります。



■ 法事は何のためにあるのか

法事を「お経をあげてもらう日」と思っている方は多いでしょう。
しかし仏教的には、もっと深い意味があります。

◇ 法事の「法」は、仏法=真理

法事とは
亡き人を偲ぶと同時に、仏の教えに触れて自分の生き方を見つめる機会
です。

悲しみを癒すだけでなく、
「いま自分はどう生きているのか」
「どう生きたいのか」
を静かに問い直す時間でもあります。

実際、法事のあとに
「気持ちが軽くなった」
「やっと落ち着いた気がする」
とおっしゃる方はとても多いのです。

法事は、“亡くなった人のための儀式”というより、
生きている人の心を整えるための時間と言えるでしょう。



■ 現代人が供養に迷うのは自然なこと

現代の供養の悩みには、次のような背景があります。

お墓が遠い

仏壇がない

家族と価値観が合わない

跡継ぎがいない

宗派がわからない

親子関係が複雑


供養とは本来、
「こうしなければならない」ものではなく、関係を見つめ直す行為です。

だからこそ、形にとらわれすぎる必要はありません。



■ “場所に縛られない供養”という選択肢

現代のライフスタイルに合わせれば、供養の形はもっと自由になります。

仏壇がなくても、写真に手を合わせる

月命日に思い出す

好きだったものを供える

亡き人に話しかける

小さなお位牌や写真立てを置く

永代供養墓にお参りする


いずれも立派な供養です。

供養の本質は、
「亡き人を思い出し、向き合う時間を持つこと」
にあります。



■ 心理学的に見る供養と法事の効用

家族心理学では、供養や法事に次のような効果があるとされています。

① 自分のルーツを再確認する

「どんな親でも、ご先祖でも、自分の一部である」という感覚は、
心を安定させる力があります。

② 後悔や罪悪感を整理する

供養の時間は、失った人との“心の対話”の時間でもあります。

③ 孤独感を癒す

手を合わせる行為には、
「見守られている」という深い安心感をもたらす作用があります。

供養も法事も、結果として
心の健康を支える行為になっているのです。

 

■ おわりに:供養は“義務”ではなく“心の姿勢”

供養も、法事も、
「やらなければならないから行う」のではありません。

供養は、亡き人との関係を優しく結び直す行為。
法事は、自分の心にそっと灯りをともす機会。

形式に縛られなくても大丈夫です。
あなたが「手を合わせたい」と思うその気持ちが、
何よりの供養になります。

静かな山寺より、
あなたの心が少しでも軽くなることを願っています。

 

🌙 不安な夜を乗り越えるために。専門医に聞いた“薬に頼らない不眠ケア”

 

夜になると、急に心細くなる。布団に入っても眠れず、時計の音ばかりが大きく聞こえる。──そんな経験をお持ちの檀家さんも多いのではないでしょうか。
年齢とともに眠りが浅くなるのは自然なことですが、「このまま朝まで眠れないのでは」という不安そのものが、さらに眠りを遠ざけてしまいます。本稿では、専門医が実際にすすめている“薬に頼らない不眠ケア”をご紹介します。お寺での生活のように、静かにリズムを整えることが鍵になります。


■ 高齢者が夜に不安を抱えやすい理由

高齢になると、体のリズムが“前倒し”になり、以前より早い時間に眠気が来る代わりに、早朝に目覚めやすくなります。また、睡眠ホルモン・メラトニンの分泌量も減るため、「寝つけない」「眠りが浅い」と感じやすくなります。
さらに、夜間頻尿や持病による痛み、将来への心配、人との関わりが減った寂しさなど、心身両面から“夜の不安”が生まれます。これは決して異常ではなく、誰にでも起こりうる自然な変化です。


■ 今日から始められる“薬に頼らない不眠ケア”5つ

① 朝の光を浴びて、体内時計を整える

朝、カーテンを開けて日光を浴びることは、夜の眠気をつくる大切な準備です。散歩ができれば理想ですが、窓際に座るだけでも十分です。お寺の朝のお勤めが気持ちよく感じられるのも、この“朝の光”の力が大きいのです。

② 日中の活動量を少し増やす

軽い散歩、家事、畑仕事──何でも構いません。日中に体を少しだけ動かすことで、夜に自然な疲労感が生まれます。人と話すことも良い刺激になります。法要や行事で人と会うと「よく眠れた」という声も多いですね。

③ 夕方以降は“心を落ち着かせる時間”をつくる

ぬるめの入浴、軽いストレッチ、静かな読書など、刺激を減らす時間を意識して作ります。お香の香りや、落ち着いた鐘の音を思い出すのも良い方法です。身体が「そろそろ休む時間だ」と理解し、自然と眠気が生まれます。

④ 寝室の環境を整える

室温は18〜22度、照明はできるだけ柔らかく、寝具も体に合うものを。夜間のトイレへの動線に物が置いてあると転倒の原因になります。安心して眠れる環境づくりは、眠りの質を左右します。

⑤ 昼寝は短め・午後3時まで

30〜60分の昼寝が夜の不眠の原因になることもあります。昼寝は20分以内、午後3時より前に。短い昼寝であれば、夜の睡眠に悪影響を与えません。


睡眠薬の“良いところ”と“気をつけたいこと”

もちろん、睡眠薬が必要な場合もあります。短期間なら効果的で、「眠れない」不安を和らげる手助けにもなります。
一方で、長く飲み続けると効き目が弱くなったり、ふらつき・転倒・混乱(せん妄)を起こしやすくなることがあります。また、複数の医療機関から眠剤をもらっている場合には注意が必要です。
薬は“悪いもの”ではありませんが、専門医は「生活リズムを整えるケア」を優先してすすめています。


■ 不安そのものが眠りを妨げる──心の整え方

眠れない夜は、「どうしよう、また眠れなかったら」という不安が頭を占領します。
そんな時は、ゆっくり6秒吸って、6秒吐く呼吸を繰り返してみてください。
また、「眠れなくても横になって休んでいれば体は回復する」と考えることも大切です。気持ちの焦りが減ると、自然と眠気が戻ってきます。


■ まとめ──薬に頼りすぎず、安心して眠れる夜を

眠りは、生活のリズムと心の状態で大きく変わります。今日ご紹介した方法のうち、一つだけでも構いません。続けることで体は必ず応えてくれます。
不安な夜を一人で抱え込まず、困ったときはどうか相談してください。静かな夜が、また皆さまに戻ってきますように。

山と祈りー山に生き、水に癒される

2025年11月16日 19:44
🌿 連載:山と祈り──山に生き、水に癒される



山の静けさは、祈りのはじまりである。



岐阜の山の中で、一つの寺を守りながら暮らしている。

夜明けの冷気、湧き水の音、杉の木立の影。

読経の声が山に吸い込まれ、夕暮れの鳥の声が一日の区切りを告げる。



ここには、都市では失われた「祈り」と「沈黙」がまだ生きている。

そんな山寺の生活から見えてくる、

“人はなぜ山に祈るのか” という問いを、

静かに、時に深く、綴っていく



🕊 《シリーズの主なテーマ》



■ 山と水の信仰



高賀神水、高賀六社、湧水信仰、修験の霊場──

千年の祈りを抱く山々の姿。



■ 山寺の四季と行事



修正会、彼岸、観音講、施餓鬼、棚経。

静かな寺だからこそ見える“人と自然の一年”。



■ 出家と孤独のかたち



剃髪した日のこと。

59歳で修行に入った理由。

山寺で暮らすという選択。



■ 山の恵みと精進



山菜、アケビ、柚子、湧き水。

山の食と仏教のつながり。



■ 山の民俗・歴史



土岐氏の名残、大桑城、山県の山城群。

山は記憶の層が重なる“生きた歴史書”。









🕯 《この連載が伝えたいこと》



山は、声を出さずに語りかけてくる。

水は、目に見えないものまで洗い流してくれる。

祈りは、誰かのために捧げるとき、自分自身を立ち上がらせてくれる。



山に生きるとは、祈りに生きること。



忙しい日常の中で少し立ち止まり、

心の奥にある “静けさの部屋” を開けるような連載にしたいと思っ



🌲 次回更新:12月1日



第1回 「高賀神水──霊山が育んだ千年の水」



山と祈りの物語を、どうぞお楽しみください。



#物語
#連載
#山寺
#千年
#高賀神水




定法院住職 武政 奈保子
香蓮は道号法名を圓尚と申します。60歳代で出家、修行して寺の住職になりました。
【家族】夫と未婚の息子。
【生活】今の暮らしは、東京と千葉と岐阜の三拠点生活、それぞれ別の地域に住み、そこでしか出来ない人生を楽しんでいます。
【趣味】もらい物の野菜や果物で保存食を作ること

現世とスカイツリー


1年ぶりに帰って窓からスカイツリーを見る。スカイツリーの色のバリエーションも増えたなと思います。今回の帰省の目的は、もちろん家族にやっと念願叶ったことの報告と奈良大の科目試験でした。もう、どうしてこんなに予定入れてしまうのかしら。今回は、使わないなら婚約指輪を売りに行こうよと夫が言います。確かに和の世界や宗教的社会では、指輪なんていりません。それにもう

指にもハマりません。世の中はもう、結婚指輪も必要じゃないのかも。f:id:enshow:20251109145641j:image

里帰り


f:id:enshow:20251107073801j:image11カ月ぶりに東京のマンションに帰ってきました。お寺で学研教室やってるので、そうは勝手に休めません。それで、通信教育の大学の科目試験を受けに帰って来ました。まあ、岐阜で何があってもすぐに帰ればいいわけです。定期の仕事、月経も10日までないし、後は電話で仕事待ちです。うちは、どうも二重檀家になっていて、うちは大寺の協力寺みたいになっているので、地元でガツガツ働くことも出来ません。東京で家族に会いながらどうすれば仕事ができるか思案中です。原則、岐阜ですけど。