住職になった時、一番最初に報告したかった開眼寺の柴田住職に電話をかけた。確か、90歳になられる。国際仏教塾でお世話になってから、正眼短期大学に入った時、入学式にきてくれたし、得度式も見に来てくださった。あと修行道場で苦戦していた時も2回も見に来てくれた。もう何としても修行を終えて報告したいと思っていた。まだ声は澄んでいて、姥捨の高原を渡る風のようだった。まだまだある、老師にお前は絶対僧侶になれんと言われたことや2回掛搭しても上手くいかなかったこと、安居会に入ってもコロナ禍でなかなか進まなかったこと。柴田さんとお話しして、ずっと涙が止まらない。人生には出会いがあるから進めるのだ。
田舎暮らしも悪くはない

田舎の空き寺に住むということは、移住者になるということだ。本当の家は、東京の台東区なので、夜の暗闇に慣れるのには苦労した。今も帰りたい気はするのだが、お寺の仕事が入ると帰れないし、学研教室があるので帰れない。修行時代、師僧から帰るなと言われれば帰れなかったし、この6年、帰れたのは年末の3日間。後は、寂しさを紛らすためにひたすらLINEを書いた。この問題の方が、なぜ出家したのかという問題より難しい。地域社会に根ざした活動は地域に根付かなければやり通せない。
私は、それまでも地方の大学を単身赴任で転々としてきたので、よそ者が地域支援活動をすることの難しさは知っている。もっと腰を落ち着けて支援してくれると思っていたのにもう見捨てるのかと何度も言われてきた。
どうすれば、家族のもとに帰る事ができて、かつこの寺を守ることができるのか?
写真はアケビ酒、今日はかりん酒を作った。11月に入れば、友達の寺の竹藪から竹を切ってきて門松を作る予定。ハンドメイドが基本だ。
シニア僧侶という生き方
人生100年と言われる、うちの義母も94歳でまだ元気で、会う度に若返っている。まあ、平均寿命がこれ以上延びることはなくても、高齢社会は確実に広がってきていると感じる。60代で感じることは、社会を外から見つめている感じである。社会のど真ん中で、結婚、子育て、家、車、ロ−ンの返済、競争社会、学び直し、収入、ポストに振り回されてきた現役時代だった。
若い頃は、なんとなく年を取って自由になれば、のんびりと暮らせるのではないかと考えた。しかし、現実は現役の頃と変わらず忙しい。もう辞めてしまったが、やりたいことがあれば、貯金などあっと言う間になくなる。私も、寺の仕事とアルバイトを掛け持ちせざる得なかった。笑える話だが、僧侶のコスチュームから訪問看護師の姿にコンビニのトイレや車で着がえるなんて日常茶
飯事だった。まるでス−パ−マンの変身だった。しかも、ハ−ドな仕事で股関節を悪くした。
今は年金受給が始まってやっと開放された。

空き寺

世の中には、空き寺に入って立て直して社会のために役立てたいと思う人がいる。大概、先が見えた社会人が多そう。私もそうだったから分かる。しかし、空き寺の住職になるまで、老後資金をほとんど無くしてしまう。なぜなら、空き寺は修理しないと使えない寺が多い。お寺の貯金が残っている寺は良いが、残っている寺は少ない。結局、自分で修理費を出さねばならない。便利で、お金がある寺は空き寺にはならない。気がついた時には、自分の老後資金の貯蓄はほぼ空になる。それでもやる意味を考える。
ちょっと冷静になって初心を考えてみる。もともと組織の中で働くのは苦手だった。一人で自由にやれる仕事がしたかった。でもお寺の世界も案外組織的で自由ではない。
仏教が好きで、若い頃から仏教関係書ばかり読んできた。写経、写仏、坐禅、参禅とエスカレートしていき、100%仏教に浸りたかった。今考えると、寺が提供する雰囲気を愛していたのかもしれない。
寺のビジネス戦略に乗っていただけかもしれないけど。何の仕事でも、憧れてた時と現実とはギャップがあるもの。好きな仏教を少しでも世に広げることが僧侶の使命なら、やるしかないかも。今はまだ、なりたてで、いささか混乱してます。
暗い夜道は
私が、このお寺に来て最初にびっくりしたのは、駐車場から、玄関までの真っ暗な道。漆黒の闇。懐中電灯をつけないとどこに扉があるのかも分かりませんでした。街灯も離れていて暗いことといったら。先ずは、電気を増設しても電気代がかかるので、太陽光で光るイルミネーションを思いつきました。格安の通販でたくさん買って年中クリスマス状態にしようと決意しました。暗い寂しいお寺のイメージを明るく活気ある場所にしたいのが、私の夢。

学研教室
修行の間、お寺の看護を任されていたが、まだ住職ではないので、寺の仕事も少なく、ひっそりと学研教室をやっていました。修行もお金がかかるので、訪問看護師や訪問ヘルパーもやってました。身体、特に足にくる力仕事もあり、ついに歩けなくなる日もあり、訪問ヘルパーはやめることにしました。代わりにお寺に長くいるために塾を行うことにしました。山奥の小さなお寺にも子どもを連れたお母さんやお祖父さんが子どもを連れてきてくれました。これも生徒が少ないので四苦八苦して、10名に満たない子どもたちが来てくれています。お寺でハロウィンやクリスマス会を子どもたちと一緒にやりました。一瞬でも山のお寺にも子どもの声が響くのは良いものです。